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論理と時間

少なくとも、我々が通常の認識で観測する物体の運動を支配するニュートン的古典力学において、時間tというパラメタは自明に存在するものですし、座標や速度が時間に依存する関数であることは感覚的にもなんら違和感の無いものです。

つまりは力学を記述する数学的な式が持つ、意味的な扱いについて時間という概念を導入することはまあ自然であるというわけですが、一方で、数学的な式それ自体が時間という概念に支配されていることはたぶん恐らくありません。坂道においたボールは時間が経つと勝手に転がっていくかもしれませんが、適当に提示した数式が時間が経って気付いた時には形が変わっている!!ということは無いですね。表式の示す意味的な事象ではなく、表式そのものが勝手に時間的にグニャグニャと変化していくことは、そういう性質を付与して立式しない限りは、たぶん、ないです。

これは論理や理論を記述する一形態としての数式だけではなく、ロジック全般について言えることだと思います。ロジックそのものは時間とは干渉しないものであり、その示す内容が(修正・訂正の類を含めなければ)勝手に変わることはないはずです。

が、論理をその発展という観点で見たときは、むしろそれは時間的な関数として捉えられなければならないのではないかということを最近思います。簡単に言うと、横軸に時間、縦軸に論理の発展・実現度合を取れば水平線ではないグラフが描けますよねという、それだけの話です。数千年前にはウホウホ言いながら木の実を数えるのが限界だった(知りませんけど)人類は、現在電子機器を開発して様々な演算を行えるようになっているわけでありますから、その「すごさ」「発展度合」を適当に数値化して直線上にプロットすれば、なんか時間に依存する関数のようなものが出来上がるはずです。

案外、見方によっては、時間的な進行が論理の実現に大きく関わっているのではないか?と僕は言いたいわけです。

例えば、あなたの人生における勉強とかはそうです。なにやらを習得するために延々と小学校、中学校、高校、大学と行く過程で洗練されていく脳みそは明らかに時間的に変化しており、論理を一般的なそれではなく「あなたが実現する論理」というスケールに絞れば、時間は無視出来ないポイントです。

もっと大袈裟なことを言えば、人類の発展もそうです。時間をかけて論理を習得する、更に時間をかけて新しい論理を習得する繰り返しで我々は発展してきたわけでありまして、その発展は時間に依存していると言えます。

別にここまでのお話が言語遊戯に過ぎないという自覚はありますし、だからどうというわけじゃあないですけれど、今まで論理は時間に依存せず即座に実現されるものであるというようなことを漠然と思っていたのですが、実際的なオーダーで見れば、むしろ時間的な熟成が論理の進行の本質になっているかもしれないんじゃないかとか、そんなことを思ったところにちょうどブログが有ったので書きました。

おわりです。