鬱病で休学した東大生の記録

一応タイトルをセンセーショナルにしてみたが、こうしてみると逆にありきたりでいくらでもありそうだ。
ちなみに鬱病と言うのは若干盛っていて、抑うつ状態ではあるが鬱病という診断までは出ていない。「鬱病?」と主治医に聞いたところ「そう診断するのが妥当な状態」という煮え切らない返答で、診断書を書くのにはそれ以上必要が無かったので確定はしていない(なお、「抑うつ状態」は症状、「鬱病」は病名である。「頭痛」は症状だが、「脳炎」は病名であるのと同じ。厳密に使い分ける気はないので、「鬱」「鬱状態」とか適当に書くのを適当に解釈してほしい)。


1.発症
一般に、強いストレスが鬱病を引き起こすと言われる。
私は今年の九月に行われた院試に落ちた。挫折経験の結果、気分が落ち込み鬱状態に……というストーリーであれば話は簡単なのだが、そうではない。院試に落ちたから鬱になったのではなく、既に鬱だったので院試に落ちたというのが真相である。院に落ちた直後は「やはりか」という感想で特にショックは受けなかったし、今も大して気にしていない。
自分で見る限り、発症の契機は恐らく大学院入試の願書を書く段階にあったと思う。ほとんどの学部四年生がそうであるように、私は院に行くか就職をするかという判断を迫られ、一応は院に行くという選択をした。しかし、私は院には全く行きたくなかった。
昔から学校が嫌いだった。例外はない。幼稚園が嫌いだったし、筑駒も嫌いだった(念のために書いておくが、筑駒の友人は嫌いではない。学校が嫌いだというと今も友人付きあいがあるじゃないかと言われることがあるが、私にとってその二つは全く別のものだ)。私は東大入学二ヶ月で精神科通いになったが、これも東大で特別何か嫌なことがあったからではなく、かねてより学校通いに関しての違和感を精神科に相談してみたいと思っていたところで保健センターの存在を知って使ってみたというだけだ(料金がかからず、実家で共に暮らす親に秘密で通えるというのも大きかった。精神科に通っていると知れれば理由や病状を根掘り葉掘り聞かれるだろうが、それを説明するのは面倒臭い上に不愉快だからだ)。
通ったことが無いので知らないが、恐らく大学院も嫌いなのではないかと思う。だからといって就職を選ばなかったのは、大学院よりも更に悪い可能性があるからだ。社会にも出たことが無いのでやはりはっきりとは言えないものの、大学院と社会で単純な拘束時間を比べた場合、明らかに後者の方が長い。よって、どちらにも同じ密度で嫌いな要素がある場合、社会の方が嫌い度が大きいことになる。大学院なら、最悪でも現状維持程度で済むだろう。
要するに、私の進路選択は極めてネガティブな選択肢二つの中からよりましな方を選ぶという選択であり、全く積極的なものではなかった。未来に関して詰んでいたのだ。
進路の選択に際して本意でない道を選ばざるをえなかったことに加え、そもそも「本意の道」が存在しないのではないかという未来の見通しの暗さを認識し、院試の勉強をしようとしても手に付かない状態が続いた。ただ、これは述べてきたような平常な精神状態の範囲で院に行きたくないという気持ちが作用したもので、後述するような病的な無気力状態ではなかった。

鬱の萌芽かどうかはわからないが、この時期の異常行動としては、どうしても大学院入試の書類を触るのが嫌で封筒を逆さにして床にぶちまけて取り出していたことがある。

 

2.悪化
院試に落ちた段階で、どうせ留年は確定しているし休学したいという旨を両親に伝えた。しかし、とりあえず卒論を書いて単位を保留し冬入試で院に合格して来年の夏に入学するという方法であれば通常の留年よりも停滞期間が半年減ることがわかり、そのルートを目指すことになった。
私としてはもう限界が近いことを認識しており、初めから卒論を書けるかどうかは五分五分だと思っていた。念のために言っておくが、私は今までに必修はもちろん選択科目の単位も落としたことはほとんどない。必修であるところの卒論が書けないだろうなという見込みを立てるのは、どちらかといえば異常事態である。
そういうわけだから卒論にかけるやる気もなく、適当に希望を書いたために第何志望のところに配属されたのかもわからなかったが、とにかくどこかに配属され、卒論研究がスタートした。
配属された研究室は非常に緩く、コアタイムが無く、ゼミもなく、そもそも人がいなかった。大規模な研究室であるために却って組織や部屋が分散しており、いちいちまとまって何かを催すことが無いようだった。私は時間を拘束されることが苦手なので、本来ならばこのような環境は理想的と言ってもよかった。ただし、進捗の有無が自分に任される環境は、自ら動くことが難しくなる鬱状態において悪く作用した可能性が無かったとは言い切れない。
当然ながら進みは悪く、一週間のうちで研究室に足を運ぶのは二、三回程度、行っても席で寝ているだけで進展がないということはざらだった。私自身に焦りはなかったが、TAや担当教員が焦っていたのは少し申し訳なかったと今でも思う(TAや教員は本当にいい人で、進みの遅い研究をいつも心配してくれていた。人間関係に関しては恵まれており、問題はなかった)。
結果から言えば卒論研究は断念したわけだが、「成果が出せない」という形で鬱状態の兆しが明確に見られたのは輪講演習においてである。輪講とは一人一つ論文を読んで内容をスライドにまとめて発表するという勉強会だが、私はなかなか自分の担当分を完成させられなかった。研究室に最も長く滞在したのはこの輪講の準備をしていたときであり、終電まで作業をしていたり、休日にも研究室に出向くことがあった。結局、疾病を理由に延期してもらい、一ヶ月遅れでなんとか完遂した。
詳しくは後述するが、輪講の準備ができなかった主な理由は物事を選択できない症状にあったと思う。時間的に論文の内容全てを伝えることはできないので、発表者の裁量で重要な部分を圧縮して伝えるのだが、どこを拾ってどこを捨てるべきかという選択が出来なかったのだ。私が製作したスライドは五十枚以上に渡り、二十四分の発表時間の中では大半を飛ばすという結果に終わった(スライドの量が多すぎることに気付いたのは前日に発表練習をしていたときであり、それまでは多いとは思わなかったので、発表自体に不慣れであったこともあろうが)。
十一月頃から「それらしい症状」、つまり健全な心理状態のアップダウンの範囲では説明できないという意味で異常な行動や状態が出始める。
まず、とにかく選択が出来なくなった。お腹が空いても何を食べるか決定できないので食事を抜くことになったり、本を買おうと思って本屋に行っても購入という決断ができないため何も買わずに帰るという事態が頻発した。「パスタ」と「ラーメン」のどちらを食べるかというような"A or B"の選択だけではなく、本を「買う」か「否」かという"DO or NOT"の選択も出来なくなるため、家では何もせずにベッドの中で寝転がっていることが多くなった。
このときの独特の心理状態については興味深いのでもう少し詳しく書いておきたい。

そもそも、選択という行為は、選択肢のどちらを選んだとしても大なり小なりプラスの効用があるという前提がある(一方が常に良いに決まっている状況での判断を選択とは呼ばない)。本を買うか否かというケースで例を挙げると、本を買った場合、内容を知るなり知識を得るなりという利益が得られる。反面、本を買わなかった場合でも、金を節約できるという効用はある。例えばもし本の内容が取るに足らないものであった場合は、「買わない方がよかった」という感想にもなろう。
どちらの選択肢にも評価すべき点があるというのがポイントなのだ。正常な状態においては、それぞれの選択の便益を適切に重みづけしてどちらかを選ぶということで決断が可能になるが、鬱状態では、この「便益の重みづけ」が破綻する。
どちらの便益も無限大に発散してしまい、それはそのまま決断しようとする手を止める抑止力になるのだ。例えば"A or B"という選択でひとまずAを選ぼうとしたとする。するとその瞬間、Bが自らの便益を強く主張してくる。その主張はAを超える大きさであるため、B>Aという構図になり、Aに伸ばした手を止めてBに伸ばす。しかし今度はAの方が良いのではないかという疑念が強力に持ち上がり、再び不等式が逆転すると共に、伸ばした手がAに戻る。この繰り返しだ。決断の刹那に評価が逆転することで、無限に双方の間を彷徨うデッドロック状態が成立する。
お腹が空いているのに食事が取れないという異常状態はこれで説明できる。決して食事をする気力がなかったわけではない。確かに気力が大きく削がれていた面はあるが、実際に体験した感想としては、決断に必要なエネルギーが足りないというだけの説明は片手落ちなように思われる。無限に不等式が逆転することで成立するデッドロックがキモだ。
ところで、このように自分を客観視した記述は現在の一応健康な状態からの後付けではないかと思われるかもしれないが、当時から「面白い」と思った症状については記録を付けていたのでそれはない。鬱症状のさなかにあっても、主体としての自分と客体としての自分は一貫して存在していた。つまり、「辛いなあ」と一次的直接的な感覚で体験している自分と、「今辛いと思っているなあ」と二次的客観的な視点で俯瞰する自分がいた。後者が鬱症状に影響を受けていないとは全く言い切れないが、とにかくそちらの側から自らを観測・記録することは常に可能だった。
さて、この選択不能状態に加えて、体力の異常な低下という症状も徐々に出始める。大学への行き帰りの途中で歩く体力がなくなってしまい、道の真ん中で立ち止まったり、駅のベンチでしばらく休憩しなければ再び歩き出せないということが頻発した。一番酷いときには、登下校に普段の倍の時間がかかっていた。
ちなみに、最もありきたりな鬱の症状として希死念慮も確かにあったが、これに関しては異常な心理状態だったとは今も思わない。これは死生観の問題だ。私は正常な心理状態においても「死亡」を最悪な状態ではなく、精々プラスマイナスゼロのフラットな状態だと考えている。よって、現在の状態が強いマイナスである場合は自殺することで振れ幅をゼロに戻すことは、差分としてはプラスの便益を得られる行動であり、おかしな選択だとは思わない。むしろ注目すべきは明らかなマイナス状態にあって自殺を押しとどめた要素が何かという点だが、今は省略する。
進まない卒論研究の傍らで選択不能と体力の低下が続き、これは何かおかしいぞと思って十一月中旬頃に精神科に相談する。
相手が付き合いの長い担当医ということもあって即座に薬が処方されたが、私はどうしてもそれを飲みたくなかった。頭に作用する薬には強い恐怖があったからだ。東大に合格するくらいなのだから、私は自分の頭に対してはかなり信頼を置いている。個体としての唯一のアドバンテージと言ってもいい。それを侵す可能性が僅かでもある行為に自ら進むのは相当な勇気が要る。平時ですらかなり迷うだろう決断を鬱特有の選択不能状態で下せるはずもなく、最終的に初めて薬を飲んだのは一月に入ってからだった。
薬の服用を決意した理由は二点ある。
一つは症状がどんどん悪化し、遂に発作のようなものが出るようになったことだ。何か漠然とした苦痛が湧き上がってきて、うめき声を上げたり壁に頭をぶつけたりしなければ耐えられないということが起こってきた。これは喉元過ぎれば熱さ忘れるという類の苦しみなので今具体的に想像することはできないのだが、当時医者に語った私自身の言を思い出すと、「足の小指を箪笥にぶつけた人が床でばたばたともがくのと同じように、何か他のことをして誤魔化さなければ耐えがたい痛み、の精神バージョン」だった。
もう一つは友人と呑みに行ったことである。関西から用事があって友人が来たので、共通の知り合いを交えて秋葉原の居酒屋で酒を呑んで串焼きやモツ煮込みを食った。何が決定的に効いたのかは定かではないが、これによって症状が一時的に回復し、症状も概ね解消された。これは二日ほどで戻ってしまったのだが、一瞬でも快適な状態に戻ったことで今までが相当な異常状態であったことを認識し、治療が必要であると決意するに至った。
ちなみに、最も酷い時期でも対人関係の弱体化は起こらず、普通に友人を誘って焼肉に行ったりしていた。このことから私は自分がいわゆる仮面うつ病ではないかと疑っていた(これを根拠にして抗うつ剤の服用を拒否していたところもある)のだが、医者によれば「重要なのは何が辛うじて出来るかではなく何が出来なくなっているか」ということだった。

 

3.治療
薬を飲むのとほぼ同時期に卒論のリタイアと休学を決めた。なお、休学の理由は鬱病というよりは学費節約という方が大きい(東大は国立なので、休学中は学費がかからない)。卒論以外の単位は全て揃っているので、夏学期に大学に行ってもやることがないのだ。正常の状態だったとしても卒業に必要のない単位を揃えるほど私は勤勉な学生ではない。
薬の効用の前に、副作用が色々あった。
まず吐き気。薬を初めて飲んだ日はまだ卒論を続ける気でいたので大学に行き、やる気が出ないので図書室で寝ていたのだが、起きたときに猛烈な吐き気がして驚いた。口を開けば嘔吐するのではないかというほどで、喋ることができないのでそのまま帰ったのを覚えている(吐き気が無くてもそのまま帰っていたと思うが)。
あとは眠気。ただ眠いというだけだが、吐き気と組み合わさると欠伸と同時に吐き気も覚えるという独特の感覚が味わえる。これも結構面白かった。
不眠症状も起きた。眠気があるのに不眠?と思うかもしれないが、この二つは同時に起きうるということを、私もこのとき初めて知った。眠気があるのに眠れない状態になるのだ。例えば、どっぷり夜更かしをした翌日、午前は眠くてたまらず、昼休みに時間が取れたので午後の活動に向けて仮眠をしておこうと思って机に突っ伏してみると、寝よう寝ようと思っているせいか、妙に意識が冴えて目がシバシバして眠れないという経験は誰にでもあるだろう。あの状態が持続するというのが恐らく最も近い。そしてあの状態と同様に、相当きつい。副作用の中で一番きつかったのは眠気と不眠のコンボだ。
性機能障害も起きた。特筆するようなことはないが、性欲が減退し、身体的にも勃たない。
もっとも、いずれの症状も思い悩むほど深刻なものではなかったので、比較的軽いものだったと思う。今も抗うつ剤を服用してはいるが、副作用は全て消失している。
幸いなことに、薬を飲み始めてから鬱は一直線に軽快に向かっている。これが薬のおかげか休学を決めて家でゆっくりしているからかはわからないが、いずれにせよ寛解過程についてはただ良くなったというだけであまり書くことがない。心配していたような薬の悪影響(副作用という意味ではなく、脳に不可逆な変化が加わり思考能力や信条に影響を及ぼすのではないかという疑念)も特になく、今は月に何度か精神科に行って減薬しながら経過を見ているという状態である。

 

おわり